11月22日。
いい夫婦の日です。
気がつけば11月もあと9日。
てことは?
はい。まもなく歳を取ります。
そしてついに30歳です。
29歳になってからは、あまり29歳であると感じず、「今年で30歳になる」という感じが強かったなぁ。
残り僅かな20代。
人生を10年単位で考えると
10代は身体的に一番変化する10年ですが、
20代は人生の中で一番激動な10年に感じる。
これは僕だけでなく誰でもそうじゃないのかな。
それだけ、10代のころとは違った多感な年代なんだと思う。
この10年ほんといろいろありました。
あとわずかですがちょっと振り返ってみましょう。
どれだけ書けるかわかりません。とりあえずその1ね(笑)
20代の最初は大学生になったころ。
19歳は浪人していて、ちょうどハタチになるときに単身山口へ。
正直、一人暮らしに対するイメージはなかったのね。
高校生のときに、特別一人暮らしをしたいとも親元にいたいともどっちとも考えてなかった。
ななんていうかビジョンなくやりたいことも見えずにいた。
だから勉強もせずに浪人になった。
浪人のときに行きたいと思ったのは、千葉か茨城か金沢だった。
千葉、茨城はね、関東方面に行きたくても首都圏は生活費が高くなるからNG。千葉や茨城の位置ならと不純な話。実は映画俳優に一瞬憧れて、東京に近ければオーディションでも受けれるんじゃなのかって軽く考えていたほんと不純な話。
あとは役者以上に映画を撮りたい気持ちもあった。
自主映画なら東京かなとも思った。
でも親から「何をしたいんだ?」の一言であっさり辞めた。
俳優の話も、どこまでのめりこめるか正直自分の意思も中途半端ななかわからなかったから、そんな気持ちで行っても絵空事で終わるなと思ったのね。
それからは、純粋に行きたい土地として思ったのが金沢だった。
特に特別なことではない。ただ土地柄のイメージで行きたいと思った。
信州のほうが好きだけど、信大で行きたいところがなかった。
理科系の科目で物理をせずに化学だけを勉強していた自分にとって行ける学科かも限られた。
そんななか、金沢はピンポイントだった。
当然、センター入試を終えて金沢大学を対象にいれた。
合格確率も結構高かった。
しかし、筆記の英語の勉強が不足していた。
そんなとき、同じくセンター入試のあとのリサーチで山口大学を入れていた。
ときは正月に戻って元旦。一枚の年賀状が届く。
それは、高校の友人でストレートで山口大学に進学し、後に僕の友人代表になったマイミクでもあるI氏からの年賀状だった。
「山口来る?」
おそらく冗談半分で書いた(のかな?)その1文に
「誰が行くか!(笑)」
と思っていたのだが、
何故か、そのときのイメージから山口大学が自分の中に残り、リサーチに書いたらこれも合格確率が高判定に。
その結果に親が
「山大受けなさい」
の一言。
社会建設工学。資格として一応建築士が取れる。就職実績高い。
そして、何故か化学で受検が出来る。
願書を提出。
受検は他の受験生と相部屋。
初めての山口の夜は暗かった。
宇部線から見える景色の寂しさを感じ、やっていける自信もなくなった。
しかし、合格しました。合格通知見たら普通に喜びました(笑)
そして山口へ。
親父の車で12時間。
アパートに荷物を入れて山口最初のごはんがラーメン。
ものすごくまずかった・・・。
そして就寝。
翌日親父の顔色が悪くなってくる。
どうもラーメンがあたったらしい・・・。
でも、免許のない僕は車が運転できない。
親父は苦しみながらまたもや中国自動車道を走って10時間。
家に着いたら寝込んだ親父の姿はまだよく覚えている。
・・・なんでオレは平気だったんだ・・・?
I氏の存在は大きかったね。名古屋から新幹線で3時間。
本州最西端。
そんなところで知り合いがいるのは心強かったね。
そしたら、そのまま演劇サークルに入ってしまいました。
最初に先輩のOさんなどと一緒に連れて行ってもらったのは、やたら出てくるのが遅いお好み焼き屋さん。30分か40分か。
山口一人暮らし最初の飯はなかなか食べることを許されなかった(笑)
演劇サークルに入ったのは、やっぱりどこかにお芝居の憧れがあったかな。
演じることといずれ脚本書いて演出したい気持ちが強かった。
ただ、このとき大学時代の一番の後悔することにもなった。
当事付き合っていた女性ともすったもんだして、周りの人も巻き込んで人間関係を悪くしてしまったこと。大学時代の一番後悔した時間です。
僕がもうちょいでも大人なら、もっといい時間を過ごせたと思ったのに、非常に悔しいですね。
でも、その後ときは流れて僕を受け入れてくれる心広い諸先輩方にはほんとに今でも感謝の想いでいっぱいです。
演劇関係の人脈は広がりました。学生の枠に収まらず、地元の方とも非常に友好的になれました。僕の演劇好きはそこで固まっていきました。
深夜に山口を出発して大阪までお芝居を見に行くミーハー的な行動も増えました。
(僕は寝てばかりで、ドライバーのある人には迷惑ばかり)
ただ、優秀でない僕は、勉強と両立を図るためには、演劇活動を行うことを自粛しないといけない面がありました。
当事、活動は山口市がメイン。しかし、工学部があるのは宇部市。
車でも1時間かかる。その車もない。電車は非常に少なく、移動も厳しい。
親への感謝の気持ちだけは忘れないよう、留年だけはしないように心がけました。
お芝居に人生をかけることができなかった。
それは土地が東京から離れすぎている背景もあったけど、やはり芝居ばかりが人生なのかとの葛藤もあったのかもしれません。
とりあえず、親に世話になっている間は、自分勝手な行動は慎もうと考えました。
就職して、お芝居やりながら自分のやりたいことを見つけようかと考えました。
ところが就職に対して非常にルーズでした。大学進学のときと同じ感じを繰り返してしまったのだ。
ここで、今度は大学のほうに話を変えよう。
学科の友人は非常に恵まれました。
話が合う連中も多く、非常に助けられました。
試験前には泊り込みで一夜漬けを一緒に行うばかりで。
ただ、後悔があるとすれば、バイトが忙しく、遊びに行くことが少なかったこと。
もっとみんなと遊びに行きたかったなぁ。
個性豊かな連中はみんなバラバラになって、卒業後に会うことがほとんどなくなりました。
これが残念。もっとマメに連絡しておけばよかったなぁ。
・・・・・ちょっと出かける時間になりました(笑)
続きは「その2」で・・・